こらみぃ

ニュースやコラム、白書などを読み解いて感じたことなどを書いていこうと思っています。 また、人生攻略もテーマに掲げています。

人生

生きていくうえで必要はないかもしれないが、あれば効率よく生きていけるというような事柄を「人生を攻略」と題してシリーズ化していこうと思う。大分類の人生攻略をかぶってしまう部分があるが、人生攻略という大きなテーマの中のオーソドックスなカテゴリーだと思っていただければ幸いだ。

初回のテーマは「こだわりを持つ」だ。こだわりとは本来「執着」のことをさすようだが、ここではもっとライトな個人の気持ちに関するものを取り上げようと思う。


生きていくうえで必要の無いもの、そのひとつに「こだわり」というのがある。必要が無いというのは、こだわらなくても不利になったり損をしたりするということが、基本的には無いということだ。こだわっている人にその理由を聞いてみると、ジンクスや安心感、はたまた理由無しなど様々だが、初めから、あるいは気づけばこだわっているという人たちの多くは、意図してこだわりだしたのではないという意見が多い。

今回はそういった人たちを深く掘り下げるというよりかは、これからこだわりを持つという人向けに自分なりの考えを記そうと思う。


私の考えはこうだ。こだわるということは分岐された道を迷うことなく進むためのキッカケなのではないだろうか。例えば一人旅にこだわっている人は、旅行したいと思ったとき「誰と行くか」という分岐点で、迷うことなく「一人」を選ぶだろう。あるいはダシにこだわっている店主がスープを味見して僅かに違和感を感じたとき、迷うことなく作り直すという選択を取るだろう。このように、分岐点に差し掛かったときに、自分のこだわりに沿って道を選択し進むことができる。言い換えるなら、「人生のコンパス」のようなものなのかもしれない。

そう考えると、こだわりを持つことでブレない人生を送れるのではないかと感じる。もちろんそれによって選択した道が必ず正しいとは限らないが、仮に間違っていたとしてもこだわりを持って選んだのだから、その後の後悔は小さくて済むのではないだろうか。

人生の歩き方は人それぞれだ。道に迷うたびに周りの人に聞き、進む道を他人にゆだねる人。人生の手本となる地図を片手に、効率よく道を進もうとする人。はたまたコンパスだけを手に我が道を突き進み、時には自ら道を切り開き進む人。小さなこだわりを持つということは、少しだけ人生に変化を与えることなのかもしれない。

私は最近、死ぬまでにやっておきたいことを消化することができた。これでもし万が一のことがあっても、「悔いが残る・心残りがある」ということにはならないだろう。そこで今回は、「」について考えてみようと思う。テーマは「安楽死と尊厳死」だ。

まず二つの違いから見てみようと思う。

<安楽死>
苦しい生ないし意味のない生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないし その目的を達成するために意図的に行われる「死なせる」行為。

引用


<尊厳死>
人間としての尊厳を保って死に至ること、つまり、単に「生きた物」としてではなく、「人間として」遇されて、「人間として」死に到ること、ないしそのようにして達成された死を指す。

引用

非常に分かりにくい内容だが、要するに共通点として「不治で末期の患者が本人の意思で」というのがあり、相違点として「命を積極的に絶つのか否か」というのがあるようだ。尊厳死は末期の患者が延命処置を施さずに自然に死を待つことを自らの意思で決めること、安楽死は同じく末期の患者が同じように延命処置を施さないことに加え、医師などの第三者が薬物などを使って死期を積極的に早めるということのようだ。

自然死」か「積極的な死」か、異なっているのはこの部分だけだが、両者は全くの別物であるといえる。私はてっきり自殺願望のある人に手を差し伸べ、安らかに眠りにつけるようにしてあげる行為を安楽死なのかと思っていたが、基本的には不治で末期に至った患者だけのようだ。


回復の見込みがない状況でつらい闘病生活をしいられるよりかは、平穏にその時を迎えるという選択肢は、非常に興味を引かれる。私はつらい思いをしてまで延命をしたいとは思わないので、このような選択肢があるのであれば、ぜひそうしてもらいたいものだ。そのための協会も存在しているらしい。大事なのは、「事前に自分が尊厳死を望んでいるということを宣言しておく」ことのようだ。

これに対し安楽死の方はどうだろうか。日本では安楽死は犯罪で、法律で認められていないようだ。世界規模でみてみると、認められているのは欧米の一部の国・地域だけのようで、まだまだ問題を抱えている事案だといえる。


まとめるとしよう。まず尊厳死の方だが、こちらは人権として盛り込んでもいいのではないかと思えるほど合理性を感じるので、私的に否定する余地はない。安楽死の方も同じだ。生きる権利があるのと同様に、死ぬ権利があってもいいのではないかと感じているので、大いに推進してもらいたいと考えている。

増え続ける人口や伸び続ける平均寿命などで、必ずしも延命優先である必要性は無いのではないだろうか。強制的な延命処置は、本当に本人のためだといえるのだろうか。そう考えると、「積極的な死」も理にかなった自然な行為ではないかと私は思う。

安楽死と尊厳ある死
日本尊厳死協会

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